学園長挨拶

若旅からご挨拶

サイトをご覧頂きありがとうございます。
デザガク学園長の若旅です。

 

私は現在、14年間勤めた会社を2016年6月を以って退社し、
同月にデザイン事務所を立ち上げました。
シゴト内容としてはグラフィックデザインから、
ウェブデザインまで行なっております。

 

私はこの仕事が本当に好きです。
なぜ好きかと言うと、

自分の作った商品をお客さんが喜んでくれる

これが一番の理由ですね。

 

今はウェブマーケティングを行いながら、
シゴトのご依頼をいただいている状態です。

 

元々「コネなし」「ネームバリューなし」「お金なし」の私が、
なぜ起業できたのか?
少し長いですが、興味があったらこの先も読んでみてください。

 

何をしてもダメだった・・・

 

小さい頃から始めた野球を高校まで続けました。
正直、甲子園には遠い高校でしたが、
有名な高校の監督がうちの高校に就任したり、
決して弱いチームではなかったです。

 

背番号1を付ける事もでき、
最後の夏の大会はホームランも打つ事ができました。

 

しかし、

「このまま野球を続けて将来プロになる!」

という気持ちにはなれなかったです。

 

ここでは名前を伏せますが、
違う高校の選手があまりにもレベルが高い選手で、
今後、この選手に勝てるとは到底思えなかっですね。

 

でも今考えると完全に

「自分に負けていた」

メンタルがかなり弱かったです。

 

大学から野球推薦も来ましたが断り、
どうしようかと考えました。

 

その時、小学校からの友人から一本の電話がありました。

「お前、俺とコンビ組まない?」

突然のオファーにただただビックリしました!!

 

俺、お笑い芸人になる!

 

突然の友人からのオファーに本当にビックリしました!

 

その友人とは、中学まで同じ学校に通い、
高校は別で、
中学の頃は、人を笑わせる事が好きで、
よく2人で人を笑わせていました。

 

確かにその友人とこんな約束をしてました。

 

友人「高校卒業したら、お笑いコンビ組もうぜ!」 

私「いいけど、俺はプロ野球に行くかもしれないから約束はできん!」

友人「行かなかったら組もう!」

私「それならいいぜ!」

 

そんな約束をしていて、
実際、私はその約束を忘れていて、
実は少し興味あったデザインの専門学校に受かっていました。

 

「専門学校通いながらやればいいや!」
とそんな安易な気持ちで始めた芸人。
実際は、そんな甘くはなかったです。

 

学校の関係で、いきなり東京に行く事は出来ず、
地元から通うことになり、
毎週、都内でのオーディションがあったので、
交通費を稼ぐ為に、夜中の12時までバイトをし、
そのあと夜中の2時位までネタ合わせ。

 

朝6時に起きて学校・・・とそんな生活を続けていました。

 

都内に何度も足を運ぶ事によって、
ライブにも出る事ができ、
出たライブの人気投票(どのコンビが面白かったか)で、
毎回上位にいましたが、
上位といってもかなりマイナーなライブ。
でも当時、私達はなぜか凄く自信がありました(笑)

 

そんな中、そのライブを仕切っていた先輩芸人が、

「事務所を移籍する」

と聞き衝撃を受けました!

 

その所属事務所とは某老舗芸能事務所で、
現在も活躍されている芸人が何組もいます。

 

その先輩芸人に紹介してもらって、
その事務所の新人ライブに出させてもらいました。

 

当時同じ舞台に上がったのは(名前は伏せます)
M-1チャンピオンになったコンビ、現在ピン芸人で大活躍している女性芸人、
手品が売りの人気芸人など他にも、
今テレビで見ている芸人さんが当時出演していました。

 

しかし、当時は私達と同じく無名芸人。
私達も自信があり、ライブに出場。

 

M-1チャンピオンのコンビは当時から爆笑を搔っ攫い、
女性ピン芸人も笑いの渦、手品師も観客が大爆笑・・・
私達もそこそこの笑いを取る事ができました。

 

ネタが全て終わり、最後は舞台に全員が立ち、
お客さんに挨拶をする。

 

司会者が芸人に話を振るとみんなボケて返す。
そんな中、ボケ担当の私にも司会者が振ってきました。

 

司会者:「今日はどうだった?」

私:「えっと・・・・」

司会者:「どうしたの?」

私:「・・・」

司会者:「何か言えよ!w」

私:「観客がブスばっかりだから笑いが少なかった!」

 

笑いも何も起きずにただ暴言を吐いただけでした。
その後、そのライブの支配人にめちゃくちゃ怒られました。

 

「お前らは、お客さんを笑わせる為芸人を
している訳じゃなく、ただの自己満足だ!」

 

凄く胸に突き刺さりました。
結局、お客さんを笑わす為ではなく自分たちの笑いに自信を持っていただけ。
だからあんな暴言も簡単に吐ける。。。

 

その後、何度かライブに出させてもらいましたが、
やはりうまく対応できず、なんか芸人として限界を感じてきました。

 

デザインってやっぱり楽しい!

もう芸人として生きて行く気力がなかったのを、
相方も薄々感じていたらしく、そのまま解散。

 

デザインの専門学校を卒業間近で、
大学に編入することになった。
この時点で親にはめちゃくちゃ迷惑をかけている。
金銭面でも・・・。

 

結局、私は某電子機器メーカーに就職が決まり、
そこでは営業職でした。

 

私の父親が、営業の仕事をしていたのを目の当たりにし、
正直、営業職は嫌いでした。
仕事をしていくうちに、やはり自分は営業職が合わないと感じ、
わずか1週間で退職。。。

 

22歳にして無職はまずいと感じ、
すぐに派遣登録して仕事をしました。

 

そんな派遣の仕事を毎日続けていて、会社の先輩に

「触るな!危険!」

のチラシを機械の近くに貼りたいから作ってって言われ、
ここで私は、専門学校の時の知識を活かし、
まず色を「黄色」と「黒」に決めました。

 

「黄色」と「黒」は人が見た瞬間危険に感じる色なので、
それをベースにチラシを作り、イラストをはめ込ました。
それを先輩に見せたら

「すげーー!」

と褒められ、上司にも褒められました。

 

その時自分の中で少し気持ちが動いたように感じました。

 

私は今も格闘技が好きなのですが、
当時社内に格闘技好きの社員が何人もいて、
よくテレビで放送された試合の内容をワイワイとみんなで話し、
ひとりの社員がこんなこと話していました。

 

「PRIDEのポスターってめちゃくちゃ斬新じゃない?」

 

その言葉が妙に気になって、
帰宅してネットで検索したら。。。

 

「めちゃくちゃかっこいい!!」

 

その瞬間私はデザイナーになることを決心し、
印刷会社を受けまくって某印刷会社に入社。
自分の部署は希望通り企画部デザイン課でスタートとなりました。

 

考えが甘かった。。。

ある程度専門学校の時に自分自身で、
センスがあると思っていて(笑)、
そのイメージで会社に入社しました。

 

そんな考えを持っていた私は、
先輩方から。。。

 

一刀両断!!

 

名刺デザインを見せたらダメ出しの嵐。。。

DMのデザインを見せたらダメ出しの大嵐。。。

 

と、センスがあるって自分が思っていただけ恥ずかしい。。。

 

とある先輩にこんなこと言われました。

 

『若旅くんは家ではどんなゴミ箱使ってるの?』

『ホームセンターで売ってる適当なのですよ』

『まずそれがダメだよね!
そうゆうところにこだわりを持たないデザイナーがいいもの作られるわけない』

 

その言葉聞いた時、
なんの反論もできず。。。笑

 

今でも私はこの教えを守り、
後輩たちによくこの話をします。

 

そして、先輩に何年も揉まれながら、
その後ひとりで仕事を任されるようになり、
とある某企業から大きな依頼がありました。

 

『ウォーターサーバーを新規参入させたい!』

 

今でこそウォーターサーバーは珍しいものではないですが、
当時はまだニッチな商品でした。

 

元々違う事業をしている会社が、
ウォーターサーバー事業に参入する。
このプロジェクトは企業の未来が左右される重要なプロジェクトでした。

 

何パターンもチラシのラフ案を出し、
デザインも何種類も考えました。

 

正直、今まで自分が経験したことないくらいの重圧。。。笑

 

結果は。。。

 

大成功!

 

凄い数のウォーターサーバーを売ることができ、
ウォーターサーバーの企業としてかなり名前を売ることができたのです。

 

その社長からは自分が会社を退職する際、
ご挨拶した時に

 

『今、会社があるのは若旅さんの力のお陰です』

 

と、お世辞でも嬉しい言葉を頂けました。

 

ネットビジネスに出会う

 

入社して10年以上を経ち、
シゴトも順調で役職まで就けることになり、
毎日が平々凡々と暮らしていました。

 

が、ふと考えることに。。。

 

『これって今俺がやりたいことなのか?』

『俺がやりたいことってなんだろう?』

 

と。。。

 

少なからず会社に対しては不満はありましたが、
会社ってそうゆうものだと割り切っている自分もいました。

 

そんな中、
ふとウォーターサーバーで最初のチラシで結果が出た時を思い出し、
物凄く社長が喜んでくれたことを思い出しました。

 

『あー。俺はデザインで人を喜ばせたいんだ!』と。

そして、

『生まれ育った群馬にデザインで恩返ししたい!』と。

 

なら起業しかない!
と考えるようになったのですが、
自分の先輩は起業してもことごとく会社を潰し、
今は全然違う業種に就く姿を何人も見てきました。

 

どうしたら起業できるのか??

 

そんな中、
ネットサーフィンをやっていると

 

『ネットビジネス』

 

というものに出会いました。

 

ネットビジネスの種類はたくさんあって、
中でも目についたのが

 

『アフィリエイト』

 

『こんなシゴトがあるんだー。』

と感心しつつアフィリエイトサイトを閲覧。

 

ここで感じたこと・・・

 

『もっとデザインをよくすれば売り上げが上がるんでは?』

 

そう思い、
自分でも実践することにしました。

 

ある程度結果が出るようになり、
とあるネットビジネスのコミュニティに参加。

 

当初はウェブマーケティングを学びながら、
アフィリエイトも実践して起業する

 

そんな目標でしたが、
その時担当だったメンターから。。。

 

いや、アフィリなんかやらないでデザインで情報発信しよう』

 

正直。。。

 

『おぉーマジか。。』

 

と半信半疑でデザインの情報発信を続け、
ポツポツではありますがネットから依頼や問い合わせが来るようになり、
ウェブによって人脈も広がっていき、
今では法人企業さん数社からシゴトをいただけるようになって、

起業することができました!

 

最後に

私はウェブマーケティングを学ぶことによって、
起業することができました。

 

先ほども申し上げた通り、
起業してもことごとく会社を潰さなくてはいけなくなった先輩を、
数多く見てきて、
私も実際起業をしたいと考えていたものの無理だと感じてた部分も出てました。

 

このデザガクはノンデザイナーを育成する場所でもありますが、

『起業したいけどやり方がわからない』

『起業しても売り上げをあげる自信がない』

『ノンデザイナーだけどデザイナーになりたい』

 

そんな方のために作ったサイトです。
このデザガクで多く学び、
あなたの夢を叶えるお手伝いができたらと思います。

 

この度はサイトにお越しいただきありがとうございました!

ABOUT ME
若旅 宏和
1979年生まれ群馬県在住のグラフィックデザイナー兼ウェブデザイナー。 2014年からデザイン情報発信サイト『デザガク』を開設。 主にクチコミとウェブからの集客で受注し、一切営業しないスタイルを貫いている。 制作実績では3,000万円以上稼ぐアフィリエイターのLP、数千万の売り上げを達成した教材LP、さらに、メジャー格闘技団体「RIZIN」のスポンサーポスターや、ブランディングデザインにおいても好評を得ている。 公益社団法人日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)正会員。